九州思い出旅 大分王子町2015/04/01 20:40

この旅行の最大の楽しみは50年まえに住んでいたところを一人で周ることです。事前にグーグルで近所の様子を見ていましたが、なかなかピンときていませんでした。やっぱり、行っても無駄か・・・。

西大分の近くに家がありました。父の会社は自宅の前から西大分駅まで続いていました。この辺りでは大きな会社でした。仕事場によく連れていかれ、自分の仕事の自慢話を何度も聞かされました。

昭和天皇も見学されたという有名な会社でした。大阪で事業に失敗した父は、この会社に雇われることになりました。初めは羽振りが良かったですが、あっという間に倒産してしまいました。給料の遅配もあり、苦しい生活が続きました。自宅から会社に沿って曲がった道を抜けると、西大分駅でした。

別府駅から西大分駅までは電車で10分ぐらいでした。昔は西大分のかんたんから別府までちんちん電車が走っていました。父は毎晩のように別府を飲み歩き、いつもタクシーで帰ってきていました。父にとっては、一番良かった時代だと思います。

おしゃれな車内から広々とした別府湾が眺められました。別府マラソンで拡張された道路はテレビで見ていましたが、昔とは比べ物にならないくらい立派な道路が続いていました。


西大分駅を降りて、ホームから出てくると、古い木造の駅舎がありました。小学生当時、見ていた駅と
ぴったり一致しました。まさに記憶がよみがえってきました。震えるような感動がありました。


西大分駅から曲がった道は昔と同じ道です。しかし、周りには何一つとして見覚えのあるものはありませんでした。家の近所にあった王子神社です。名前だけは覚えていましたが、記憶は蘇ってきませんでした。神社は50年前と同じはずなのですが・・・・。きっと、ここでも遊んでいたはずなのですが・・・。


ところが、神社の近くに散髪屋がありました。昔とずいぶん変わっているはずなのに昔の記憶とぴったり合いました。神社との位置関係から思い出したのです。いつも母と一緒に散髪屋に来ていました。

母好みの髪型になるようにいつも細かく店主に注文していました。じっと座っていると、いつも散髪中は寝てしまっていました。「おとなしく座っていたね」と言われてはお菓子をもらっていたことを思い出しました。大人になった今でも散髪中は眠たくなってしまいます。子どものころと変わっていません。


家の周りを歩き、やっとのことで大体の場所がわかりましたが、今一つはっきりしないので、大分県立
図書館で昔の住宅地図を見に行くことにしました。

九州思い出旅春日町小学校2015/04/01 21:45

昔、国立療養所のあったところに県立図書館がありました。
近所に図書館があり、昔の住宅地図の閲覧ができるということでした。県外の者でも名前と電話番号を言えば、調べることを手伝ってくれます。係の方も親切でした。

昭和36年の住宅地図には私の名前はありませんでした。
昭和42年でも名前はありませんでした。ただ、地図を見ると、今まで思い出だしていなかったことがどんどん蘇ってきました。家の近所の酒屋、お菓子屋、父の会社の2階から見えていた煙草屋。そして
点々だった記憶が線になり、立体的に思い出されてきました。友だちの家も見つけました。


いろいろな思い出が走馬灯のように見えてきました。何とも楽しい時間でした。
ここは学校近くの「ふたば公園」。公園奥のコンクリートのステージに見覚えがありました。友だちと一緒にこの公園で遊びました。3月末だというのに桜の花のピンク色が青空と相まって鮮やかでした。


ここが我が母校大分市立春日町小学校です。昭和36年から41年の5年間過ごしました。校門正面に木造の講堂と左手に木造の校舎がありました。右の鉄筋の校舎は当時のものかわかりませんが、同じように3階建てでした。残念ながら学校の中に昔を思い出すものはありませんでした。二宮金次郎の銅像でもあれば、思い出すのでしょうが・・・。当時あったかどうかは覚えていません。


小学校の次は春日神社です。よく友だちと忍者ごっこをした場所です。きれいに整備された町並みのどこかに昔の何かが発見できないかと歩き続けました。

九州思い出旅春日神社2015/04/02 07:40

小学校から歩いて5分位のところに春日神社があります。春日神社は奈良が有名ですが、あちこちに
同じ名前の神社があります。
藤原氏(中臣氏)の守護神である武槌命(鹿島神宮)と経津神宮(香取神宮)、祖神である天児屋根命と比売神を祀る。四神をもって春日神と総称されるそうです。


立派な本殿がありましたが、全く記憶がありません。朱塗りが鮮やかでしたので、新しいものに建てかえられたのでしょう。境内は思ったより狭かったです。石でできた慰霊塔に見覚えがあるだけでした。
ここはよく遊んだので、もっと思い出すかと思いましたが、残念でした。
当時はテレビで「隠密剣士」、漫画で「伊賀の影丸」等、忍者ブームのころでした。伊賀の影丸になって、葉っぱを上に投げ、木の葉隠れとよくやっていました。懐かしい思い出です。

九州思い出旅 肉の木村屋2015/04/02 08:09

昔もこの場所にありました。1階が店で、2階が住居になっていました。春日町小学校の同級生のお店です。
なぜか名前とお店のことを覚えていました。きっとまだ店に立っているかと思って立ち寄りましたが、残念ながらお店は閉まっていました。
開いていたら、そっと覗いて、年齢を重ねた彼の顔を見てみたかったです。間違いないと思っても、きっと声はかけられなかったでしょう。
ちょっとドキドキしながら、見にきました。残念なようでほっとした感じは複雑な感情でした。


春日神社と肉屋の前は広い道路になっていました。全く記憶がありません。新しくできた道だったのでしょう。確かこの道の並びに5年生の時に担任された先生のお宅があったように思います。福岡に転校が決まって、母とごあいさつに来た記憶があります。大きなお宅が並んでいました。探すことなくNHK大分放送局に行くことしました。

九州思い出旅NHK大分放送局2015/04/02 08:25

小学校の担任の先生が、「NHKから3年生の男の子を紹介してほしいと依頼を受けた。ついては**ちゃんがいいと思う。」と母に話があったそうです。何も分からず小学校近くのNHK大分放送局に連れていかれました。

質問を受けたり、何か読まされた記憶があります。きっとこの時がオーデションだったのでしょう。「来週から放送の収録がありますので、来てください」ということでした。

何とも唐突な話で子ども心に不思議な感じでした。

これから週に2回以上NHKに行き、夕方から遅くまで収録やら児童劇団の指導を受けることになりました。私が主演していたのはNHK第二放送「みんなのくらし」という3年生向けの社会科の番組でした。主役の少年がいろいろな場所に行って、いろいろなことを経験するというものでした。

昔のNHKは玄関からすぐのところに応接室があり、ラジオ放送のスタジオがありました。奥には広いスタジオがありました。玄関から左に行くと、食堂があり、お腹の空いたときはサンドイッチとかうどんを食べていました。時々共演者の方からジュースを奢ってもらってもいました。

放送収録前にはカラー放送が始まったばかりの「ひょっこりひょうたん島」を見ていました。 


そんな懐かしい思い出のあるNHKも今はなく、場所も斜め迎えのところに移っていました。しかしこの場所に立つと昔のことがどんどん蘇ってきます。

収録の終わるのが遅いので、いつもタクシーで家まで送ってもらっていました。苦しい生活でしたが、父にとっても私にとっても華やかな時代でした。昭和36年から41年のことです。